王宮の一室、紅葉した山裾を一望出来る客間。光が天窓から柔らかく降り注ぐ中、もう何十人目かの来客と会食をしていた。
ナイフは右手、フォークは左手。食器はカチカチ鳴らさないように。座る時は気持ち浅めで、食べている時も口角上げて。あと、相手の話には適度な相槌を。
昨日改めて叩き込まれた作法を反芻しつつ、ステーキを小さく切り分けて口に運ぶ。相手が保有する牧場から仕入れたというその肉は柔らかくて、すぐ口の中から消えてしまう。そして次のひと口を入れなかった隙を突いて、「ところで」と切り込まれる。こうなったらもう相手のペースだ。食事の手は止まる。
家柄国柄軍事力。この国にあるものと合わせれば素敵な未来がなんとやら。興奮気味に話す相手の邪魔をしないよう相槌をうつ。口を開かなくていいようただ詰め込まれた食事で、既にお腹は満たされている。
「……ああ、すみません。この後別件があるので、この辺で切り上げさせていただきます。今後もどうぞよろしくお願い致します。ユエステラ姫」
「……ええ、よろしくお願いします。……王子」
名前なんだっけな、……まあいいか。
王子が退室してから、アタシは詰まっていた息を大きく吐いた。
ーーーー
「ん~!疲れたぁ!」
早めの湯浴みを済ませて身軽な寝間着に着替えたアタシは、勢いよくベッドに倒れ込む。11歳になりたての体に有り余るこの広さは、アタシを受け入れるように体を沈ませた。
そのまま天蓋を見つめるようにして、心地よい温かさにまどろみながら物思いにふける。
10歳で王位を継承してから1年、こういった会食がほぼ毎日続いている。相手はこの国の貴族だったり、他国の王子だったり。次期女王として多くの人と交友を持つためと言われているけど、こんなの、お見合いの建前でしかない。
来る人たちも来る人たちで、アタシのことをおしとやかで美しい人だと称するけれど、これはこの1年で毎日指導されてどうにか体裁を取り繕っているだけの姿。本当はずっと椅子に座っているよりも森や街を出歩きたいし、ナイフとフォークを使うものよりも手掴みでフランクに食べられるものがいい。それに、こんなに布を重ねた服、動きにくくてかなわない。
「……今まで散々ほったらかしだったのに、今更他の貴族と同じようにしろなんて、無茶振りにも程があるよ。ね?ロイ。」
聞いてはいないだろうけど、ベッド脇の止まり木で羽休めをしている翠の小鳥に話しかける。こんな窮屈な毎日も、慣れたくないのに慣れてしまった。ときおり会食の無い日に、孤児院の皆と遊ぶのがここ最近唯一の楽しみだ。明日は何もなかったはずだし、久々に会いに行きたいな。
考え事と現実が脳内で曖昧になってきたころに、ノック音が聞こえた。せっかく眠れそうだったのに。一体誰だろう。
扉を開けると、メイドが静かに立っていた。
「ユエステラ様、国王様からの言伝を預かって参りました。『明日は新しい来客が来るので、昼の鐘までに準備されたし』とのことです」
「えぇ~~……」
よりにもよって、何故明日に入れたんだ。
「……お相手はどこの人?」
「隣国の有力貴族ヴェルヘン家と伺っております」
「ヴェルヘン……」
名前だけは聞いたことがある。隣国では王の次くらいに権力を持っているところだ。……って政治の講師が言ってた気がする。
「……言伝ありがとう、下がっていいよ。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
扉をパタンと閉めてすぐさまベッドに戻ると、先程以上に勢いよく倒れ込む。
「うええぇぇ~……」
そのままクッションに向かって、なんとも言えない鳴き声を出す。国1番の有力貴族となると、家の財力自慢も相当なものだろう。あわよくばアタシと婚約して、新たな爵位も狙っている可能性がある。少なくとも今までの相手は皆地位や権力目当てだった。
「こんなの……憂鬱でしかない……」
ため息をついて、そのまま沈むように眠りについた。
ーーー
せめて雨ならよかったのに、今日も皮肉なくらいに晴天だった。ただ今日はいつもと違って中庭で会食をすることになった。しかも立食式。どうやら相手の希望らしい。
「ヴェルヘン公爵家ご長男、入られます」
執事の高らかな宣言と共に、中庭の門から3人の人影が入ってきた。
背の高い男性2人は、付き添いだろう。真ん中に、稲穂のように輝く黄金の髪の少年がいる。歳は少し相手が上だろうか。
来客たちは石畳をなぞるようにしてこちらに近寄ると、真ん中の少年が少しぎこちない動きで最敬礼をした。両側の2人もそれに続く。
「初めまして、ハーツ・ヴェルヘンと申します。この度はお招き頂きましてありがとうございます」
「初めまして。ユエステラ・レッドフォードです。どうぞよろし……く?」
相手がぽかんとした顔でこちらを見てくるので、思わず語尾が疑問形になった。
「どうかなさいましたか……?」
「あ、いえ、……すみません。伺っていた名前と違っていたもので」
慌ててそう言う彼の様子に、首を傾げる。別に東国の民族みたいに大人になって名前を変えるようなことはしていないから、間違えようがないと思うのだけど……。
と、ベランダから音楽隊のファンファーレが鳴り響き、それを合図に会食が始まった。皆思い思いに飲み物を手に取り乾杯する。ひとまずアタシもハーツさんとグラスを鳴らした。ちなみに中身は二人ともオレンジジュース。
今回は皆立っているのでナイフは無く、既に切り分けられた食事を自由に取って食べる形式だ。アタシはとりあえずポテトサラダを少し皿に取った。
立食式の作法は……取ったものは戻さない、食べられる量だけ手に取る。あと何があったっけ……。
そんなことを考えながらテーブルの前で立っていると、山盛りのローストビーフを載せた皿を手にしたハーツさんが戻ってきた。もしかしてこれ、全部食べるのだろうか。
「すみません、俺、形式ばったのが苦手なので、無理言って今回の形式にさせて頂きました。無礼なのは百も承知なのですが」
「いえ、アタ……私も、テーブルに座るよりこれくらい自由な方が落ち着くので、むしろ嬉しいです。ありがとうございます」
なんとも畏まった雰囲気に慣れていない様子に、思わず素が出てしまいそうになる。相手はふわりと片目で笑い、「よかった」と呟いた。
その刹那、本当に一瞬だけ、息が出来なくなった。
ギュッと、心臓が絞られる感覚。
それが何なのか分からず、そのまま固まってしまった。
不自然に固まったアタシの顔を見て、ハーツさんは不安な顔をする。
「……どうか、されましたか?」
「あ、いえ……、えっと……左目、お怪我なされたのかなって……思いまして…………」
咄嗟に返した言い訳に、しまった、と半拍置いて後悔する。
他人の容姿は話題に出さない。これも作法だと習っていたのに。
ハーツさんは寂しそうに微笑む。罪悪感が、ツキンと小さく胸に刺さる。
「ごめんなさい……余計なことを……」
「……昔の傷です。もう痛みはありません」
ハーツさんはアタシの無礼を咎めなかった。折角なんだから楽しみましょうと、他愛もない話題へ移る。
普段の趣味、好きな料理、今回の会食のおすすめの品。お互いに美味しかったものを教えあって、食べてみて、またそこから話が膨らんで。昔森で過ごした時を思い出させる、そんな時間が流れた。
ハーツさんは、今までの人たちと違って露骨な話はなく、必要以上に話しかけてくることもない。こちらの話も促してくれるし、とても話しやすかった。
有力貴族という名に身構えすぎていた分、すごく拍子抜けしてしまった。こんな人も居るんだな、とぼんやり感心する。ただ、由緒正しい家系のご子息にしては、あまりにも場馴れしてなさすぎるような。
また山盛りになっているローストビーフにフォークを突き刺している彼を見ながら、今度は慎重に言葉を選んで口にする。
「もしかしてハーツさんも、こういう会食にはあまり慣れていらっしゃらないんですか?」
相手は食べる手を止め大きく目を見開いたあと、申し訳なさそうに笑った。
「そうですよね、こんな成り上がりの貴族が貴方とお話しようだなんて、身の程知らずでしたね……」
思っていたより大きく凹まれてしまう。これも新鮮な反応だ。今まで会った貴族は皆、自分の地位を卑下しながらもいくらかは誇りと、時に傲りを滲ませていた。
つくづく不思議な人だ。
「あ、いえっ、そんな、……すみません……そういうつもりはなくって……。私も、実はこういう生活を始めて、まだ1年くらいなんですよ」
そういいながら、視線を手元に落とす。そのまま無言でいると、ハーツさんはそっとフォークをお皿に置いて、アタシの話を聴く姿勢を取ってくれる。
「……前までは他の人と同じように自由に過ごしていて、食事マナーとか、立ち振る舞いとか、気にせず過ごしてきたんです。でも1年前、急に私が王位を継承することに決まって、作法とか教養とか1から勉強し始めることになって、まだ未熟なのに毎日こういう会食を用意されて、アタシは作法を反芻するので精一杯で……」
途中から愚痴になっているような気がするけれど、無言の間が怖くて、どんどん喋ってしまう。
「ほんとは、結婚もしたくないんですよ。国を背負って、人を導く場所でずっと居なければならない。……それがアタシには重荷で。しかも言い寄ってくる人たち皆アタシじゃなくて家柄とか権威ばっかり見てるし……。アタシはそれなら、名もない人としてひっそりと静かに過ごしたいなって……最近思ってるんです……よね」
そこで話が途切れ、そのまま黙ってしまった。……というか、婚約相手を探すための会食なのに、なんてことを言うんだアタシは!
何か弁解しなければと顔を上げると、そこには少し驚いた、でもどこか憑き物が落ちたような表情で、こちらを見つめているハーツさんがいた。
「ああ、だから他の人にはユウって呼ばれていたんですね」
……え?
今、なんて
「俺、貴方を見たことがあるんです。孤児院から帰るところを」
「!!」
思わぬ台詞に、ギクッとした。
「孤児院で無邪気に振舞っていた貴方に惹かれて、こうしてお会いしたいと思ったんですけど、お会いしたらすごく大人しくて別人のようで、結構不安だったんですよね。もしかしてとんでもなく無礼なことをして、機嫌を損ねてしまったんじゃないかって」
彼は申し訳なさそうに笑って話を続けるけれど、アタシはそれどころではなかった。
王女の身分であるアタシが城を出歩いていることは、以前より繋がりがあった孤児院の子たち以外には秘密ということになっている。
孤児院に遊びに来る名もない少女ユウと、次期女王となる第1王女ユエステラは、別の存在とすること。継承後は外出せず女王の勉強に集中しろと言ってきた父に、それなら王位継承しないと反発したアタシが、以前通り外出できる代わりに示された条件だった。
この人は、ユウとユエステラが同一人物だと分かって来ている。
……これがもし、父に知れてしまったら……
もう、皆には会えない……?
「でもそういうことなら、俺もわざわざ爵位貰ってまでこの場に来なくてよかったのかもしれませんね……って、え!? どっ、どうかしましたか!?」
歪む視界の中で、ハーツさんが狼狽えているのが分かる。いつの間にか、ぽろぽろと涙が零れていた。周りもどよめく。
だめ、このままじゃ、彼に泣かされたと勘違いされてしまう。そうしたら彼にも、彼の家にも迷惑をかけてしまう。
ああ、ユエステラは泣くことさえも許されないのか。
「……ごめん、なさい。部屋、戻ります……!」
弁明しようにも口は上手く動かず、たまらなくなってアタシは中庭を飛び出した。
その日の会食は、王女退席でお開きとなった。
ーーー
「うう~……」
勢いで自室に戻ったアタシは、ドレスのままベッドに突っ伏していた。暖かい光のランプが揺らめく。
せっかく楽しい会食になっていたのに、アタシが全て台無しにしてしまった。もう外に出られず皆に会えなくなるなんて、ただの杞憂で早とちりだと、少し冷静になって考えれば分かることだったのに。
自分の短絡的な思考に嫌気がさしてクッションにぐりぐりと顔をめり込ませていると、コンコンとノックが聞こえた。これは父のお説教コースだろうか。
重い足取りで扉を開けると、そこには昨日のメイドが立っていた。
「ユエステラ様、ハーツ様からお手紙を預かって参りました」
「手紙……」
彼女によると、あの後急いで書きしたためていたらしい。
「……ハーツさんは、何か言ってた?」
「いえ、特別なことは何も。ただユエステラ様の身を案じておられました」
「そう……」
あんなに失礼なことをした後でまだ気にかけてくれているという事実に、胸がツキンと痛んだ。
「……届けてくれてありがとう、下がっていいよ」
「では、お召し物だけお取り替えいたしますね」
そう言って、彼女はしわくちゃになったドレスを見て微笑んだ。
ーーー
『親愛なるユエステラ様へ
本日はお招き頂きましてありがとうございました。最後にお話する時間がなかったので、手紙で替えさせて頂く無礼をお許しください。
あの後お付きの召使いから簡単な事情を伺いました。私が見た人は人違いだったということで了解しておりますので、ご安心を。
またこの件は私の配慮不足によるものですので、あまりご自身を責めないようにしてください。
簡単ですが、お礼まで。
ハーツ・ヴェルヘン』
改めて部屋着に身を包んでから、綺麗な筆記体で綴られた文字に目を通す。さっぱりとして読みやすい文体だ。
「なんか、申し訳ないなぁ……」
どう考えても、あれはアタシが悪いだろうに。
ともかく返事を急いで書かねばと思い、手紙をテーブルに置く。と、便箋がもう1枚重なっていることに気付いた。間違えて2枚取ってしまったのだろうか。
「……あ」
もう1枚の便箋は、ユウ宛だった。差出人は、単にハーツと書かれている。
『今度こそは、あなたに会えますように』
「……っ!」
簡潔な一言。それなのに、どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。
孤児院でいる時は、誰も生まれや身分を気にせずお互いに知らない中で過ごせたから、ユエステラとしてでなく、ただのユウで居られた。知られた後もユウとして、今まで通り友達として接してくれている。
でも、国のことが絡み始めて、訪れる貴族や王族はもちろん、家族さえもがユウではなくユエステラを褒めて求める中で、ユエステラを知ってなお、変わらずユウを探してくれたのは、あの人が初めてだった。
ちゃんと、会って謝りたい。今度はユウとして、話したい。
張り裂けそうなその思いをどうにか綴って封筒に入れ、先程のメイドに託した。
本当は色々手紙で書くべきなのだろうけど、今のアタシにはこれが精一杯だった。
返事が来たのは晴れの日が続いて久々に雨が降った日。差出人はヴェルヘン家当主。
内容はとても簡素だった。
『お手紙を賜りありがとうございます。ハーツは先日養子を抜け、行き先は告げずヴェルヘン家を去りました。またお会い出来ましたらハーツによろしくお伝えくださいますよう、お願い致します』
また会えた時に直接渡してください、とアタシが送った手紙が未開封のまま同封されていて。
それ以降、手紙が届くことはなかった。
ーーー
……あれからもう1年以上経つのか。
城下から繰り返し聞こえる避難指示を聞きながら、アタシは窓に背を向けて侵入者と対峙していた。積もった雪の冷気が、じわりと背中に忍び寄る。
「あんたを奪いに来たぜ、ユウ」
「……私はユエステラです。その武器を下ろしてください。……ハーツさん」
あの日と変わらぬ黄金の髪と、すっかり冷たくなってしまった金の瞳。あれほど会いたいと願ったはずなのに、アタシは王女として接することしか出来なかった。
……そうしないと、何かがバラバラに崩れ落ちてしまいそうだった。