第2話 ショケイニン


暗くて狭い檻の中。布を敷かれただけの地面に寝転がっている黒髪の少年は、閉じたまぶたの向こうに光を感じた。


誰だよ……こんな夜中にランプ持って入ってくるやつ……


どうせ見回りの衛兵なんだろうけど、ただでさえ自分たちに与えられた睡眠時間はわずかなのだから、この貴重な休息を奪わないでくれ。

そう思いながら、ほのかに暖かいその光を避けるように寝返りをうつ。


……ねぇ。…………ねえってば」


すると、光の主であろう何者かは自分を控えめに揺さぶってきた。その動作に伴って、鎖がこすれる音がする。これは1度起きて用件を聞かない限りやめなさそうだ。


「ふあぁあぁぁ……あ?」


せめてもの抵抗で大きくあくびをする。気だるそうにまぶたを半分持ち上げた少年の目に映ったのは、ランプを持った衛兵ではなく、ふわふわな白金色の髪の毛と、その顔の両側からくるりと一対のツノが生えた、羊のような風貌の小さな少年だった。


「おはよう、リュウさん」


白い光を背に浴びて輝く髪を揺らしながら、羊のような少年はニッと笑いかける。両腕を繋ぐ鎖が、その動作に合わせてジャラリと音を立てた。


…………はよう」

「珍しいね。リュウさんがボクより起きるの遅いなんて」

……今日はシイが早かっただけだろ……


まだ覚醒仕切っていない気の抜けた声でそう答えると、リュウと呼ばれた黒髪の少年はどっこらせという小さな掛け声をかけて身を起こす。

頑固に下がろうとするまぶたと格闘しながらあたりを見回したが、衛兵の姿は見当たらない。


……か?


貧血気味でズキズキする頭を抑えてふらふらと立ち上がると、後ろから低い声がした。


「遅いぞ。あんたが最後だ」


ちらっと後ろを見ると、サラサラと鈍い金色の髪を垂らした少年が壁に持たれ、深い海のように暗い目でリュウを睨みつけていた。


「ファイも起きてたのか?珍しいな」

「だからボクらはいつも通りだってば」


リュウの言葉にシイが補足する。

冷たい石壁の上の方に開けられた窓からは、確かに、朝を告げる光が差し込んでいた。ランプの光だと思っていたものはこれだったらしい。


……変だな……


リュウはまだ目覚めきれてない頭に疑問を浮かべる。

帝国直属強制収容所、通称ショケイジョウでは、夜明けに鳴る鐘の音で全員起床、支給される小さなパンを食べ終え次第すぐに労働をするのがルール。寝坊しようにも甲冑の兵士が牢を見回りに来るので、こんな風に陽の光を浴びながら起きるなんてこと、いつもならありえない。


「なぁ、今日ってもう衛兵来たのか?」


リュウは2人に問いかける。少しの間のあと、2人ともが悩むように唸ってから答えた。


「それがまだなんだよね。ボクとしては早く朝ごはん食べたいんだけど」

……朝飯って言ってもそれが俺らの1日の飯だけどな」


軽口を叩きつつも、2人は若干不安そうな顔をする。


「そっか、飯の兵士も来てないのか……


しかし反対に、その返答を聞いたリュウの表情は少し明るくなっていた。

遅い目覚め、支給されない食事、見回りに来ない監視員。いつも通りじゃないこの状況に、ほんの少し希望が生まれる。



4年前に王国を侵略した帝国王は、周りの国からの貿易が途絶えたにも関わらず、一向に衰える気配を見せぬままここまでリュウたちを縛ってきた。

人々を街から追いやり、1人のうのうと人の玉座で座っていた。

彼は目的を達成するまでここに居座り続けるだろう。


だからこそこの4年間、仲間たちの悲鳴を聞きながら耐えてきた。いつも通りの食事に、いつも通りの労働に、いつも通りの扱いに、耐えてきた。


そんないつも通りがいつも通りじゃなくなった、つまり帝国の力が弱まっている今──。



はっと気付いたようにリュウはまた座り、何かを探し始めた。

いつも通りならもう届いているもの。

そしていつも通りリュウの手が何かに触れる。綺麗に折りたたまれた紙切れだ。

おもむろにそれを拾い上げ、開く。


…… それ、怪盗の手紙か?」

「なんて書いてるの?」

「待って。読んでるとき話しかけられてもオレ答えれないから」


手紙に興味津々な2人を宥めつつ目を通す。そこには、相変わらず走り書きだが読みやすい文字で、簡潔に用件が書かれていた。


『帝国からパンとショケイジョウの見取り図を奪ったよ。向こうはまたパンが奪われたとしか思ってないみたいだったけど、多分朝には気付かれるからそれで騒ぎになると思う。動揺した帝国軍が何か情報を洩らしてたら、また教えて。

怪盗A


やっぱり、そういう事か。

安堵して思わずため息がもれた。


「あの人も相変わらずだな。毎日こうやって帝国の目を盗んでリュウに連絡するなんて、なかなか出来るもんじゃない筈なのに」


右肩から尊敬とも呆れとも取れる、ファイの声。


怪盗Aはこうして夜のうちに手紙を届けてくれる。外から隔離されたショケイジョウでの貴重な情報源は全て彼女によるものだ。代わりにオレもショケイジョウでの動きを彼女に伝えることになっている。


「でもどうせすぐに準備出来てこっち来るんじゃ……


左肩から覗き込んでシイが言う。確かに、地図を奪われたくらいでそんなに大きな混乱になるはずもない。きっとそろそろいつも通り南京錠をガチャガチャと鳴らして──


「おい、早く起きろ。何時だと思ってるんだ!」


予想通り、怒声と共に牢屋の入り口がガチャガチャと音を立てた。苛立っているせいでなかなか鍵が入らないらしい。おかげで手紙を隠すのは容易だった。


「やっと来た。ご飯はまだ?」

「生意気な口を聞くな!やるから食ったらさっさと働け!!」


リュウはいつも通り、あくまで余裕そうに笑いながら、自分たちが帝国に従順になってないことを示す。


彼らにとっては帝国に刃向かう怪盗Aという存在自体が目障りなものなのだが、それ以外のところでも帝国に見せつける必要がある……と、かつて居た仲間が言っていた。それに生意気に振る舞うことで、カッとなった兵士がうっかり何か情報をこぼすかもしれない……とも。


しかし今日もいつも通り、甲冑兵は怒鳴るだけだった。いつも通り朝食を受け取り、兵士が去ってからそれをファイやシイに渡した。

待ってましたと言わんばかりに2人が食べ始めたのを確認すると、リュウも一口齧り付く。いつも通りの、固いパン。


……やっぱそう簡単に状況は変わらないか。


諦めの色を滲ませたその言葉は、早くも最後となった一口と共に飲み込んだ。


「さて、と。ファイとシイは今日も検査か?」


飲み込んだ言葉の代わりに、リュウはいつも通りの会話を切り出す。


リュウはショケイジョウが出来た時からいる1期生だが、ファイとシイは今から1年前に連れてこられた3期生。

しかもその身体は、帝国王の人体実験によって、他の動物の遺伝子を混ぜられている。


「相変わらずね。そんな毎日したって何も変わらないと思うんだけど」

「帝国も思ってたのと違うのが出来たから不安なんだろ」


シイの言葉へ被せるようにファイが皮肉を言った。

実際、実験結果は帝国王の求めたものでは無かったらしく、彼らは毎日実験室へ連れていかれ、異常がないかどうか検査を受けている。


……検査のお陰でオレらみたいに労働しなくて済むなら、それに越したことはないさ」


リュウは複雑な面持ちで言葉を返した。

ここで変に慰めの言葉をかけても、悔しいことだが、3期生たちには憐れみとしか受け取ってもらえない。

かつて孤児院で心を閉ざしていた子供たちの警戒をいとも簡単に解いた彼女なら、かつて押し殺していた自分の存在に気付いてくれた彼らなら、きっと、もっと違う言葉をかけてあげられるのだろう。


「ほら、そろそろ行くぞ」


リュウは仕切り直すようにそう言って、右足に付いた鉄球を引きずり、開けられた牢の出口へと向かった。


オレらショケイニンの仕事は、大きく分けて2つ。

ひとつは、ショケイジョウの場所を広げる掘削作業。もうひとつは、帝国軍の武具や物資の制作・整備。

帝国城の地下で普段は寝泊まりしていて、夜明けと共に外へ出る。4年目にもなると檻の中も大分整備されてきたけど、帝国になってすぐは綺麗な園庭が無残な姿にされて、かなりショックだったっけ。

庭園は更地になり、更地は墓地に。

今は2年目に入ってきたショケイニン、シュナが墓守としてその地を守っている。

4年目に入り、オレが今担当しているのは、武具の整備。なんでわざわざ敵の武器をオレらが整えなきゃいけないんだって話だけど、どうもココ最近、海賊が陸に上がって騒ぎを起こしているために、鎮圧に駆り出されているらしい。怪盗に城を狙われたり、海賊に治安を乱されたり、ここの王様も大変そうだ。

かくいうオレらも、この牢獄を抜け出す機会を伺っているので、人のことをとやかく言えないのだが。

大きくあくびをしながら、石を積んで造った簡単な作業場に向かう。もちろん、これを組み立てたのもオレたちだ。

既に血で錆びたり刃こぼれしたりしている剣や塗装のハゲた盾など、この大量の武具全てをオレ1人が担当している。

……と、作業場に誰かがいるようだ。


「はぁ~ほんと、昨日は災難だったぜ」

「怪盗が来たのを見計らったように海賊が来たもんな。あれはもう勘弁してほしいな……


作業場に武器を置きに来た兵士たちだろうか。思わず物陰で息を潜め、聞き耳をたてる。


「怪盗の狙いはハーツ様じゃなさそうだからいいとして、厄介なのは海賊だよなぁ」

「でもハーツ様って今日から外交回るんじゃなかったか?」

「あ、そうか。じゃあ海まで護衛して船のやつに引き継げばこっちはもう安心だな」


よっしゃあ~!ようやく休めるぞぉ~!という声からは遠くなり、聞こえなくなった。


無意識に止めていた息を大きく吐き、先程の言葉を反芻する。

あの兵士たちの言っていることが本当なら、これは……


「ふむふむ、なるほど~!」

「うぉあっ!?」


いつの間にか隣に小さな少女が、オレの真似をして座り込んでいた。この特徴的な額の傷は、墓守のシュナと一緒の、もう1人の2期生。


……フェル、まーた持ち場離れて来たのか?製糸はあっちだぞ」


フェルはまったくこりた様子を見せず、えへへ~と笑う。

ショケイジョウの仕事である武具の整備と物資の制作。女子は主にオレらの着る服を作ったりしているのだが、フェルはすぐに仕事場を抜け出してはこちらへ遊びに来る。


「今の王様も昔は海賊だったんだよね~?なんで仲間だった人を攻撃するの?」

「さあ……よくわかんないけど、大変そうだよな」


正直なところ、今の王がなぜこのようなことをしたのか、あまり分かっていない。なぜ海賊から貴族になったのか、なぜこの国を奪ったのか。

誰かをずっと探しているらしいという噂も聞いたけど、探すだけなら別にこの国乗っ取る必要はないし。

分からないからこそ、何か起きる前に早くこの国を取り戻したい。

それがオレたちの目的であり、意義だ。


……って、そういうのはいいんだよ!フェルは早く持ち場に戻れ。また衛兵に怒られるぞ」


はぁ~い、と残念そうに返事して、フェルはとてとてと戻っていった。

ちゃんと戻ったのを見届けると、オレは改めて武具の整備道具を準備する。しかし頭の中はさっきの衛兵の会話でいっぱいだった。

帝国王がいないということは、1つ騒ぎを起こしてしまえば司令塔がいないここの兵は総崩れする、ということ。現に王がまだいたであろうこの朝ですら、地図がなくなったというだけで城の中は大騒ぎだった。

地図さえあれば、彼女は今までの手紙のやり取りでオレたちの場所は特定してくれる。

今が、この檻を抜け出すチャンスなのかもしれない。


……よしっ」


小さく気合を入れて、オレは研磨剤を手に取った。

皆にもこのこと、早く言わなきゃだな。


夕日がショケイジョウの墓地を橙色に照らす。墓守の少女シュナは、最近増えなくなった墓標の数を記録しながら、その静かな光景を眺めていた。

足元にひとつ、長い影が伸びる。


……シュナ、お疲れ、さま」


影の根元を見ると、墓地を区切る柵の近くで、ショケイニン3期生の少女キバが立っていた。


「今日も検査は終わりですか?」

「うん、特に……問題、なし」


こっちにおいでと手招きをし、墓地の中へキバを招き入れる。入ってすぐ横の所にあるベンチに座らせると、いつものように、前方の景色を眺める。キバはコウモリの遺伝子を混ぜられた副作用で視力がないためただ休んでいるだけなのだが、これがシュナとキバの恒例行事だ。元々は国民に解放されていた庭園だったので、ここから国全体、そしてその向こうに広がる海までが一望出来る。この時間に見る景色は、叶うことならキバにも見てほしかった。


「シュナ、これ……あげる」


感慨深くその光景を眺めていたシュナの胸元に、ずいっと何かが渡される。キバは距離を測るのが苦手だ。


「あ、いつもの。ありがとうございます」


両手で受け取ったそれは、小さなパンだった。ショケイジョウで支給されるものとは違う、出来たての温かいパン。しかもレーズンが入っている。


キバたちショケイニン3期生は、検査が終わると毎日、担当医から食糧を貰う。作ったのか買ったのかは分からないが、帝国の王には内緒だと言われているそうなので、これは担当医が独自に行っているものなのだろう。正直朝のパンだけでは夕方あたりには消化しきってしまうので、この差し入れはありがたい。


「いつも差し入れをくれる方、帝国の担当医ということは、こちらの味方なのでしょうか?1度お会いしてみたいです」

……あの人の薬、全然……苦くない。好き」


キバからヒントになるようでならない感想を貰い、思わず頬が緩む。


「ちなみに今までの差し入れで、キバは何が1番好きですか?」

……甘辛い、お肉」

「ああ、猪肉の包み焼きですね」


キバたちが入ってきて数ヶ月経った寒い冬の日に、小さなお椀に盛られたそれを皆で食べた記憶が蘇る。リュウがタレでベタベタの顔で美味しそうに頬張っていた様子が、とても可笑しかったのを思い出した。


「また、食べたい……な」


こてん、と頭が肩に寄ってくる。これは眠くなってきたサインだ。


……また頼めば、作ってくれるかもしれませんね」


さあ、戻りましょうか。

今にも寝息を立てそうなキバの手を引き、シュナは墓地を後にする。


「今日はちょっと早めですけど、……おやすみなさい、お母さん」


キィ、と墓地の柵を閉め、地下の階段へと向かった。

もうすぐ夜が、やってくる。