帝国城、中庭。
海賊の奇襲をかわしてそのまま城へ向かった怪盗は、森を伝って城の正面を迂回し、裏にある広い庭に出た。このすぐ横には、ショケイジョウとの境界を示す背の高い柵が見える。
柵が見えること以外は昔と変わらぬ景色を見るに、恐らくここは帝国になってからもずっと、整備され続けて来たのだろう。「ユウ」にとっても、ここは特別な場所だった。
「……さて、地図見とかなきゃね」
怪盗は思い出を振り切るようにそう言うと、持ってきた手荷物から折りたたまれた地図を取り出す。帝国直属強制収容所……ショケイジョウの見取り図だ。
地下1階が牢獄。恐らくショケイジョウの捕虜、ショケイニンたちはそこで寝泊まりしている。地下2階が物資保管庫。そして地下3階は……監禁場?と書かれている。リュウからの手紙からは、壁に繋がれて拘束されるような仕打ちを受けているというのは読み取れない。むしろフェルはすぐ持ち場を離れるなどと書いてあったので、どちらかと言うと軟禁状態だ。するとこの監禁場は、なんの目的で置かれているのだろう。
「……ん?」
地図の隅に、走り書きのメモが見えた。これは……隣国の言葉だ。鍵、と書かれている。走り書きは、下にも続いていた。
「書斎……ビューロ、横、……3段目……本……」
恐らくこれがなければショケイジョウには侵入出来ないのだろう。記憶している城の間取りを思い出し、侵入経路を組み立てる。書斎に寄るなら2階のバルコニーから入るのが近い。
「……よし」
地図を小さく折りたたんで胸ポケットに仕舞うと、手頃な木に手をかけ、するりと登る。太い枝を選んで音もなく渡っていくと、程なくしてバルコニーの前まで届く。窓の向こうが暗い。王の間には誰もいないようだ。リュウの手紙通り、彼はもう港へ向かっているということだろう。慎重に枝から跳び、静かに降り立つ。この木はよく自室から外へ出る時世話になったものだ。ここから壁伝いに飛び出ているレンガを渡れば3階の自室の窓へ行ける。
「……っと、いけないいけない」
目線を前に戻し、バルコニーの入り口、大きなガラス張りの格子扉を開ける。鍵が無いのはラッキーだ。そもそもここから外に出る人はそうそういない。
扉をゆっくり押し開け、バルコニーから室内に入ると、左手には扇状に広がる階段、そしてその頂に玉座が見えた。いつも王であるユウの父が座っていた豪華な玉座。今は帝国の王のものだ。右手にある階段へ目をやると、1階の方からぼんやり光が漏れ出ているのが見えた。残った兵の見回りだろう。
目的の書斎はバルコニーの反対側。念の為辺りを見回し、人の気配がないことを確認すると、つま先立ちで、真っ直ぐ突っ切る。相変わらず、無駄に広い部屋だ。
そうして音もなく王の間を駆け抜けた怪盗を、圧迫するような本棚が出迎える。月明かりが降り注ぐ窓は、何故か開かれたままだ。
あそこから出たらショケイジョウの入り口に近道出来そうだな、などと考えながら豪華な設えのビューロに近付くと、その横で存在感を放つ大きな本棚が目に入る。この棚の3段目と指定があったが、思っていたより横幅が広い。詰め込むように並んでいる本の中から、小さな鍵を探さねばならない。怪盗は左側の本から手に取ると、手早くページをめくり始めた。
ーーー
「もー!ぜんっぜん見つからない!」
半分ほど目を通したところで、怪盗は挫けかけていた。
どうやらこの段は王国城について書かれた本をまとめているらしいが、それは城の近くの湖の魚について書かれた名も知らぬ著者の研究書だったり、城で使われている家具について主観の入り乱れた批評本だったりと、大判で格式高い見た目の装丁にしては、なんとも微妙なラインナップだった。そして肝心の鍵はどこにも見当たらない。
「しかもここから無駄に本が縦長いし……なんなの?」
そう言って手にした本は、コックによる今まで夜会で振る舞われたメニューの記録本だ。地味に分厚くて、先程よりも奥行きがない。
ぶつぶつと文句をこぼしながらメニュー本を棚へ戻し、さらに隣の本を取る。やはり縦長いこちらは各国との貿易記録だ。急に真面目なものを混ぜないでほしい。
ため息をついて本を戻そうとすると、貿易記録本があった隙間の向こうに、何か本の表紙のようなものが見えた。
「……ん?」
隙間の向こうに目を凝らす。陰になってよく見えないが、そこには確かに本がある。
そう言えばこの本たちは他の本より奥行がない割に、背表紙が揃っていた。……カモフラージュか!
急いで隣合った本をまとめて取り出すと、奥にあった本が顔を出す。その本の端に指を引っかけ引き出すと、古い革表紙が月明かりに照らされた。
「王国地下牢……収容記録?」
不思議な名前に首を傾げる。
確かに場所としては王国の地下牢だし、その入り口の鍵を入れておくには最適な名前だ。しかしなぜ正式名称の「帝国直属強制収容所」と書かないのだろう。少し引っかかるが、今は鍵を手に入れることが先決と思い、怪盗は一旦考えるのをやめる。ただでさえ陳列されていた本に手間を取られたのだから。
表紙をめくると、少しページが切り抜かれていて、そのへこみにアンティークの鍵が仕舞われていた。武器の密輸みたいな仕舞い方だ。
そっと鍵を取り出すと、切り抜かれた向こう側の記事が目に入る。
児院卒業者収容、3名
死亡5名、本年現在総
東国難民2名孤児院追
今季予定収容人数8名
切り抜きが小さいのでほとんど読めないが、多分ショケイニンの人数の記録だろう。
念の為、他に地図などが挟まっていないかパラパラとページをめくると、先程のページが目に止まった。
xx/oo/xx
孤児院卒業者収容、3名。累計156名。次年度見込み2名。死亡5名、本年現在総員57名。
##/oo/xx
東国難民2名孤児院追加。収容予定時期:xox
※今季予定収容人数8名。
怪盗は、愕然とした。
「……なに、これ……」
理解が追いつかない。
書かれていたのは本当に単なる収容記録だった。しかし、内容がおかしい。
孤児院卒業者収容。
この国にある孤児院は、心優しい青年2人が運営していた、王国孤児院ただ一つ。成人すると一般的には親元で働くが、そうすることが出来ない孤児は王国城で働けるよう王が計らっていると、昔、政治学で習った。
東国難民2名孤児院追加。
そしてこの時期は、東国から来たリュウとキバが孤児院に入った時だ。
ショケイジョウの本に、何故そんな昔のことが書いてあるのか。……そもそも、何故この本に、無関係な孤児院の記述があるのか?
頭の中で、これ以上考えるなと警鐘が響く。しかし警鐘とは裏腹に、頭は勝手に推測を進め、1つの仮定に導かれる。
これは、……ここは──
「……おい、どこまで読んだ?」
後ろから、低い声がした。振り返る間もなく手にした本が上に抜き取られる。遅れて振り返ると、ここには居ないはずの、帝国の王、ハーツが立っていた。怪盗の顔を見て、ため息をつく。
「間に合わなかったか……」
「なん、で……ここに……」
怪盗は呆然として呟く。ハーツは、本を閉じ、ビューロの上へそっと置きながら答えた。
「俺を狙っているはずの海賊が、怪盗のアジトを襲ったって聞いてな」
苦しそうに眉を寄せながら、ハーツは怪盗の瞳をまっすぐ見据える。
「……あんただったんだな。ユウ」
「!!」
心臓がぎゅっと縮む。……バレてしまった。よりにもよって、この男に。敵として、1番隠しておかねばならない相手に。
「ち、違う……アタシは、怪盗A……。皆を救い出して、王国を奪い返す……」
怪盗はハーツを見上げながら、うわ言のように呟く。
「……見たんだろう、さっきの本。『王国地下牢収容記録』」
ビクリと怪盗の身体が震える。何も返さないが、答えたも同然だった。ハーツは頭をかき、誰に言うでもなく呟く。
「あんたにだけは知られたく無かったんだがな……」
この口ぶりからすると、ハーツはこのことを知っているらしい。それもそうだ。なんたって、ここに鍵を隠していたのが、紛れもなく彼なのだから。
確認をとるように、怪盗は口を開く。
「……アタシが取り戻したかった王国は、孤児院の人たちを、地下で奴隷にしていた国。それを知らず、アタシたちは幸せに暮らしてた……。……そういう、ことなんだよね?」
ハーツは何も返さない。代わりに質問を投げ返す。
「それでも、あんたはあの国を取り戻したいのか?」
怪盗は目線を落とし、後ろの、鍵が隠されていた本棚に背を預ける。
「アタシは、国の代表だから。……取り返すのは、『私』の責任だから……」
「ここは帝国だ。あんたはもう、王女じゃない」
ハーツは語気を強めて怪盗……もといユウに詰め寄る。そこに居たのはもう怪盗ではなく、王女として立ち振る舞おうとする1人の少女だった。
ユウは何も返せない。
「俺から奪い返して、その後はどうするつもりだ?王国の王はもう居ないんだぞ」
ハーツの言葉に、ユウがバッと顔を上げる。その顔は、驚きで占められていた。
今回の王国奪還計画は、ショケイニンを奪い返したらそのまま、4年前地下牢に捕えられた国王を救い出し、王国復興の宣言をしてもらうことで正式に国を取り返す算段だった。しかし、その言い方は、まるで……
「王国の王は、……俺が殺した」
「…………ウソ……」
さあっと、血の気が引いた。
ーーー
王国の王……ユウの父は殺された。
目の前の男、帝国の王ハーツは、確かにそう言った。
今回の王国奪還作戦は、ショケイニンを連れ出すだけでは叶わない。だからこそ王国を取り戻すために、国王の存在が必要不可欠だったのに。
国を取り返す希望が、潰えた。
ようやく、4年かけて掴んだ糸は、呆気なく途切れてしまった。
「だからあんたが必死になって怪盗をやる必要はない。戻ることはないんだ」
淡々と喋る目の前の男の言葉を流しながら、ユウは俯いて必死に考える。
王国は地下で秘密裏に奴隷を従えることで成り立っていた国。つまりそれを指導していたのは国王である父だったことになる。そのまま王国に戻せば、また孤児院の子たちは地下に連れていかれ、奴隷として働かされる。それはダメだ。
元より父に良い印象は無かったけれど、ある意味国王が生き延び、そのままもう一度権威を持つようなことにならなかったから、良かったのかもしれない。
でも、そうすると国王が居なくなった今、国を取り返すことが実質不可能だ。誰か、別の人が国王にならなければならない。それも、ただの人間ではなく、国民にも他国にも、王と認められる、存在……。
「……アタシが、次の王になれば……」
ぽつり、呟く。
「そうだ、元々……王位継承権はアタシにあった!……だからアタシが次の王様になれば、そうすれば全部──!」
「──ッ、あんたがなったら意味ねぇんだよ!!!」
目の前の男が、耐えかねたように叫んだ。ユウはビクッと身体を震わせ、固まる。男は、泣きそうな顔をして、ユウの顔を見下ろす。そのとき、ずっと開きっぱなしだった窓から強く風が吹いた。
「……あんたが王になってでも国を取り返すって言うんなら、……俺は全力で阻止するからな」
ふわり。
彼の前髪がなびいて、隠れた瞳が現れる。
涙で潤んだその瞳に、ユウは釘付けになった。
「……なんで……」
そこにあったのは、冷たい金色の瞳ではなく、深い森のような、
……緑色の瞳だった。
「言っただろう、王国の王は殺した、って。そんとき片方だけ貰ったんだ」
ハーツは乱れた前髪を軽く整えながら答える。
理解できない。そんなことが可能なのか?何故そんなことをしたのか?
そもそも、何故彼はそこまでして……王を殺してまで、我々から王国を奪うのか……?
国の真実を知ってしまい、怪盗の正体もバレ、更には国王の死の決定的な証拠をこの目で見てしまった。
この一夜に起きた、あまりにも衝撃的な出来事の数々に、怪盗Aという勝気で頼れる像を失った、ただの1人の少女ユウは、もう耐えきれなかった。
ふっと、意識を手放す。
自立しなくなった身体は前へ倒れ込み、そのままハーツに抱きとめられる。
「……あんたが王女であろうとする限り、この国は譲らないからな。……頼むから、もう……」
深い闇に沈む寸前に、そんな声が聞こえた気がした。