追憶の牙


焼け付く太陽の残り香を感じる、新月の夜。十字架が立ち並ぶショケイジョウの墓地に、フードを被った1人の少女が佇んでいた。


……今日もこれで仕事は終わりです。おやすみなさい、お母さん」


木の枝を重ねて縛っただけの粗末な十字架に向かって、少女はぽつりと音をこぼす。足元の土には彼女の母親の名前が掘られているが、これまでの風雨で削れたのか掠れて読めない。


三年前に母を失い帝国王に墓守となるよう言い渡された少女は、墓守として仕事をしていくうちに、命令にはないが十字架の下に眠る人たち全員に話しかけるようになっていた。あまりに人数が多いので、いつも日付が変わるころまでかかる。それでも彼女は毎日、鎮魂歌を歌う代わりに話しかけた。

しばらく十字架の前に佇んでから、さて、と小さく喝を入れて後ろを振り返る。するといつからいたのか、人影がぼんやりと立っていた。


……シュナ。眠らない、の?」


暗闇に溶けそうな黒髪を持ったその人影は、呟くように話しかける。その背中には、一対のコウモリの羽。


「わたしはそろそろ眠りますよ。……キバは、やはり今日も眠れないのですか?」


キバと呼ばれたコウモリの少女は、こくりと頷いた。


……じゃあ今日も、ちょっとお話しましょうか」


そう言うや否や、墓守の少女シュナはキバの手を引く。引っ張られるままついて行った先は、いつも彼女たちが寝ている牢屋の屋根上だ。墓地から階段を上がると屋根と同じ高さの段があるので、そこでいつも眠気が来るまで話をしている。


「今日は何を話しましょうか?」

……月。教えて」

「いいですよ。……今日は新月なので見えませんが、いつもならこの星の反対側から太陽の光を受けて反射しています。それでーー」


墓守の少女が子守唄を歌うような声で話し出すと、キバはそっと目を閉じ、墓守の言葉に耳を傾けた。


一年前の人体実験によりコウモリの遺伝子を混ぜられた彼女は、翼と聴力を手に入れる代わりに、視力と夜の睡魔を奪われた。かつて瞳に映っていた風景は日を追う毎に風化し、だんだん思い出せなくなっている。


ーーお願い、シュナ。私に、空を、教えて。


色あせていく景色を忘れないように、せめて言葉にして記憶しようと墓守の少女に話しかけたのはいつの日だったか。3期生は別行動な事が多く他の人と話す機会が無かったので、元々人と話さないキバにとって他期生に話しかけるのは決死の覚悟に近かった。


ーー空、ですか。


突然話しかけられた相手は少し困惑しているようで、でもあまり気に止めていないようだった記憶がある。


ーー空といってもたくさんありますから、少しずつお話ししましょうか。


そう前置きをしてから、墓守の少女は空の話をしてくれた。透き通るような青い空、橙に藍が滲んだ夕暮れの空、キラキラ輝く星が散りばめられた濃紺の空。かつて母親に教えてもらったという言葉で、キバが具体的に思い浮かべられるように音が紡がれる。


シュナの語りはどこからか睡魔を呼ぶのでいつも最後まで聞けずそのまま眠ってしまうのだけれど、そもそもコウモリのせいで眠れないキバにとっては、それも幸せな時間で。


「ーーそれで、いつも白い月はたまに赤く染まることがあってですね……って、寝ちゃいましたか?」


シュナの話を聞きながら追憶にふけっているうちに、キバは静かに寝息をたてていた。仕方ないですね、とため息をもらすと、墓守の少女はそっと彼女の身体を抱き起こし、下の寝床まで運ぶ。布を敷いただけの簡素な寝床に横たわらせるまで振動で起きないか心配だったが、深く眠っているのか微動だにしなかった。ほっと安堵し、その場を離れる。


……いつかまたその目で見れるといいですね。本物の空」


去り際にこぼれた墓守の少女の言葉は、鉄格子の閉まる音にかき消された。